入社のきっかけ
海上自衛官の父の背中越しに見た海
僕は横浜生まれで、常に海がある生活を送ってきました。大学時代は海洋学を学び、ダイビングインストラクターのライセンスも取得しています。24歳の時に海上自衛官の父からこの仕事を紹介され、海洋工事に魅力を感じ入社を決めました。
同じ海に関わるダイビングとは違い、自身の手掛けた仕事が「カタチに残る」のが何よりうれしいですね。今ではこの仕事は天職だと感じています。
今の仕事のやりがいと魅力
「水」のあるところすべてが仕事場
「潜水士=海に潜る仕事」と皆さん想像されるのですが、実は水のある場所ならどこにでも行きます。僕も入社した当時ブームだった「海猿」(海上保安官をテーマにしたドラマ)をイメージしていたので、そう言われるのもよく分かります。(笑)
ですが、ダム建設現場なら潜水道具を担いで山に登ることもありますし、川に潜る現場もあります。海とはまた違った環境なので、道具選びや作業内容にも気を遣います。特に浄水場の現場は、人の口に入るものなので道具選びも自然と慎重になりますね。
苦労した数だけ自信につながる
入社半年はかなり苦労しました。当時は現場の規模や作業についても知識が乏しかったので、正直、何をしているのかをよく理解していなかったんです。日々、作業を続ける中でちょっとした気のゆるみが命に関わることを上司や先輩に教えていただきました。
潜水作業には作業を行う潜水士の他に、潜水士に空気を送る送気員・水中の潜水士と陸上の職長と連絡を取る連絡員が連携を取りながら行います。特に空気を取り扱う送気員は、潜水士の命を預かる役割なので、海の状況や船の排気の向きに細心の注意を払わないといけないんです。そうしたとこも現場に出て初めて知りましたね。海洋工事の難しさや厳しさを体験することで、今ではどんな現場でも自信をもって臨めています。
1番印象に残っている現場
「陸」と「海」の担当者が一体となった思い出の現場
正直、楽な現場は1つもないです。ただ、苦労した現場ほど達成感はひとしおです。今でも現場の近くを訪れると当時の思い出がよみがえりますね。例えば、僕たちが手掛けた橋を人や車が通る姿を見ると感慨深いです。
その中でも特に思い出に残っているのが、「晴豊2号橋(仮称)塩害工事」の現場ですね。4つの橋脚を陸上・海上・水中と4つのチームが合同で手掛ける大型工事でした。お客様の技術提案による現場だったので、すべてが初めてだらけの中、それぞれの担当者の意見がぶつかり合うこともありました。特に1橋脚目の時は激しく、ほとんど喧嘩のようでしたね。(笑)
そんな中、2橋脚目の工事を始める時に僕を含めた職長全員が同い年だったことが分かり、一気に連帯感が生まれたんです。職長全員が「若手の自分たちが誰も挑戦したことのない工法を絶対に成功させてみせる」という共通の目的が持てたことが大きかったと思います。それからは、陸・海の区別なく1つのチームとして動き出し、無事工期を終えることができました。おかげさまで表彰もしていただき、大きな自信にもなりました。あれから何年も経ちますが、いまだに当時の担当者とは頻繁に連絡を取るほどの関係性になっていますし、人間関係の大切を学ばせてもらった現場でしたね。
今後の目標
経験の浅い社員への技術の継承、教育
当社の社員に共通していえるのが「水と関係の深いこと」「新しいことに興味があること」なんじゃないかと思います。僕のように小さなころから海で遊んでいたとか、常に経験したことのない作業をやりたがるメンバーが多いですね。例えば、型枠作業を経験したら今度は別の作業をしたがるように、自発的にいろいろなことにチャレンジしています。僕のような現場を管理する立場は、彼らの挑戦をサポートする役目なので、手を挙げてくれるメンバーには、どんどん作業を任せるようにしています。
時には失敗することもありますが、失敗の中から正解を見つけることが大切だと思っています。実際に経験してみないと海の怖さも楽しさも知ることができないですから。
僕自身も若手時代、先輩と同じように作業がしたくて指示される前にウェットスーツに着替えて海に飛び込んだこともあります。上司も先輩もそうした僕の背中を押してくれたので、身をもって水の怖さや空気の大切さを学ぶことができました。こうした経験の積み重ねがあって、はじめて海洋工事の楽しさを知れるのではと思っています。